本日で閉展のクラーナハ展500年後の誘惑 に滑り込みで行きました。
ルカス・クラーナハは 工房を持ち、多くの弟子を持ちました。
筆も早かったとのこと。
同時代 イタリア~フランスにいたレオナルド・ダヴィンチ と全く毛色の違うドイツの画家です。
おまけに 市長にもなったという 多彩な能力。
81歳の生涯で 多くの作品を残し 息子に工房を託しました。
同じく多彩なレオナルドと比較すると
マルティン・ルターとも親交があったクラーナハは、
政治力を持ち合わせた現実的実力者だといえるでしょう。
艶かしい女性像を 生で観たい!!という私の10年に渡る願いがようやく叶いました。
私が想像していたのは 乳白色な女体。
実際みると 艶やかなのですが 血が通っているというか
案外 ピンク~オレンジがかった肌の色でした。
だから かえって 妖艶に感じました。
で、私が勝手に冷たい乳白色な女性と思っていたその根拠は
彼が描く女性の目線、瞳にある と認識しました。
目線をずらし 何に焦点を合わせているのか解らない瞳は 謎に満ちています。
鑑賞側の想像力を掻き立てるのです。
おまけに 首を持つ彼女の手、爬虫類的な手袋のようなものをしています。
もう、その意味って何??? って 困惑しました。
美しい「正義の寓意」(1537年)は
天秤と刃物を持つ美少女。
知恵、節操、正義、勇気 を4つの美徳としていた当時のヨーロッパにおいて
剣は 正義を貫く意志を持ち合わせているかと
鋭く鑑賞者に訴えます。
よくよくみえると 裸体の女性は 大変薄い白いベールを羽織っていて 美しい肌への欲情を掻き立てます。
そして ベールはまるで 正義を行うか否かは 紙一重といっているようでもあり
美徳と慾 を絡めた 考えさせられる作品です。
宗教的メッセージが多い画題のなか
私がもっとも惹かれたのはさいごに展示されていた 「メランコリー」(1533年?)。
デューラーのメランコリー の擬人像でしょう。
15人もの裸体の赤ちゃんは 太鼓や笛を演奏し 楽しそうです。
でも それを見つめる赤い洋服の女性はナイフで木を削り 優しさに満ちているとは言えません。
背景は暗黒で 大人が馬にのったり、魔物のようなものがいたり、雲から落ちる人ありで、
憂鬱を表現しています。
でも 15人もの赤ちゃんの肌艶の良さ、健康で屈託のない振る舞いは
メランコリーって 純粋な生命の強さでもって払いのけられる! と言っているように思えました。
お決まりで遊んでみましたが
陽気な私には 完全に不似合いな出来です・・・
アルブレヒト・デューラーの作品も多く展示されており
特に アダムとイブ(1504年)は 素晴らしいタッチでした。
これを 国立西洋美術館が所蔵していることも嬉しい情報。
いつか、東京に観に行こう!
やはり 自分の目で実物をみるのがいいですね。
発色、光沢、毛髪の繊細な描写は 素晴らしかったです。
解剖に忠実なレオナルド・ダビンチと比較すると
クラーナハが描く女性の極端な体系描写に 違和感を感じますが
女性の冷たい目、男性の怠惰な表情を観ると
女性の漫画ティックな体形描写も 何かの意味があるのかと深読みしてしまいます。
土産は、チケットホルダーとウィーン デンメアティーハウスの紅茶。
明日は紅茶を飲みながら、何度読んでも飽きない大好きな澁澤龍彦を読みます。
500年、
なんなんだ、時の流れって。
人を惑わすことは 500年たっても同じ。
美徳とすることも 変わらない。
私の人生 100年(目標)は、たかが100年。
そう考えると、なんだって出来ますね。
ドイツ、ウイーンに行って ゆっくり考え事をしたいです。